コロナ渦でも「普通の結婚式」を諦めない理由
中止になった卒業式と卒業袴
結婚にまつわるブログですが、少し昔話を。
大学4年のとき、震災があって卒業式が中止になってしまって、卒業袴を着損ねた。
その時は、世の中がそれどころじゃないし仕方ないって諦めがついたつもりだったのに、何年かして落ち着いてから悔しさが込み上げてきて、街で見かける卒業袴の子を見ても、新年のテレビで袴を着たアナウンサーを見ても、そのたびに涙と不満が出るようになった。
なんとか自分を納得させるため、とりあえず袴を着てみようと、京都に旅行した。
レンタル着物屋さんで袴を貸してくれるところを探して着付けてもらって、散歩プランで一日歩いた。
それでもまだ着足りなくて、袴を返さなきゃいけないときには、「何年越しの思いでやっと着れたのにもう終わりなんて嫌だ、まだ着ていたい」って泣いた。
着足りなかったから、翌年もまた京都に行って同じことをした。
このときは写真館での撮影オプションもつけて綺麗に撮影してもらった。街歩き中に運よく、外国人観光客に囲まれて撮影会もどきも経験できた。それでやっと満足した。
「卒業式と同じかそれ以上の、袴を着た思い出と写真」が得られたから、満足できたのだと思う。
運よく2回で満足できたけれど、満足するまで何度でもずっと続けるつもりだった。
もしウエディングドレスを着損ねたら
なぜ今、そんな昔の話をするかというと。
きっと同じことが、ウエディングドレスでも起こると思うから。
今はコロナだから結婚式ができなくても仕方ないって諦めがつきそうな気分だけど、私のことだから、落ち着いてから何年か後に、絶対に悔しくなる。そうしたら、友人の結婚写真も、映画の結婚式シーンも、全部受け付けられなくなるかもしれない。というか実はすでに、漫画や映画の結婚式シーンは見れなくなくなっている。見ると泣く。
卒業袴は京都で着ることができて、外国人にちやほやしてもらえた思い出が作れて、満足できたけれど。ウエディングドレスと結婚式は、今叶わなかったら、その分をどうやって取り戻せばいいんだろう。
結婚式の縮小開催では、報われない
卒業袴の代わりの満足を得るのに必要だったのは、「卒業式と同じかそれ以上の、袴を着た思い出と写真」。
同じように、結婚式ができないとしても、自分を満足させるためには「普通の結婚式と同じかそれ以上の、ドレスを着た思い出と写真」が必要だと思っている。
だから結婚式については、コロナ渦でゲストを減らしたり、時間を短くしたりと制限しての開催は考えていない。
縮小開催で得られるのは、「普通の結婚式と同じかそれより少ない思い出と写真」だと思うから。同じになればいいけど、万一少なかったらきっと満足できなくて悔しくなるから。
我儘に聞こえるかな。
それくらい我慢しろって思われるかな。
開催できただけ幸せでしょって言われるかな。
でも、何百万ものお金をかけて、ゲストにもご祝儀やらのお金も時間もかけさせて、関係者全員がコロナ感染のリスクも背負って、そこまでして「本当にやりたかったのはこんな結婚式じゃなかったのに!」なんて思ってしまったら、口には出さなくてもそんなの思うだけで失礼じゃないかな。誰も報われなすぎる。
だから私は、なんとか自分を満足させる結婚式がしたい。
もう結婚式は諦めろって言われることもあるし、実際に諦めかけている私もたまに顔を出すけれど。
やっぱり、普通の結婚式をする。まだ諦めない。
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