平和な家事分担のための約束。家事ひとつひとつに「ありがとう」を言う

すべての家事を彼にやってもらうという約束の半年が過ぎ、無事に家事分担も決まりました。

これからは私も半分くらいは家事をしていくつもりではあるけど、これで終わりではない。
この半年を無駄にせず、今後も仲良く暮らしていくために、新しい約束を作ることにした。

それは、「相手がやってくれた家事には、ひとつひとつ"ありがとう"を言うこと」。

 

ひとつひとつの家事に「ありがとう」を言う

ルールはいたって簡単である。

「ご飯作ってくれてありがとう」
「洗い物とシンクの掃除、ありがとう」
「洗剤無くなってたのに、詰め替えておいてくれたんだね、ありがとう」

何か家のことを相手がやってくれたと気づいたら、必ず一つ一つの作業に対してありがとうということ。

 

「いつも家のこといろいろやってくれてありがとう」はダメ

私は、平和に家事分担をするポイントは、お互いが家に必要な家事の総量を把握することだと考えている。
二人暮らしなら、自分がやっていること・相手がやってくれていることのすべてだ。

それさえお互いに見えていれば。相手が自分の抱えている面倒を一から十まで分かってくれていると思えば。お互いに感謝しあって、思いやりを持って、どこかでバランスを取り合いながら暮らせるはず。

家事の総量を把握してもらうために、一人暮らしなどの経験のなかった彼には最初の半年間、家のことを全てやってもらった。負担だったかもしれないけれど、本当にきちんとやってくれた。

けれど、それでもこれから家事を分担して、時間が経つと、自分のやっていない仕事のことはだんだん忘れてしまうだろう。「料理」「掃除」みたいにはっきりしている家事はまだ良いけれど、「洗剤の詰め替え」みたいなちょっとした作業は特に意識から消えやすい。
かといって、細かくすべてを平等に分担できるわけがないし、気づいた方がやる方がスムーズなこともある。

私が怖いのは、だんだんと自分ばかりが大変な思いをしているような気になって、不満やすれ違いの原因になることだ。

だからこれは、相手がやってくれている仕事を常に意識するためのルール。
相手が行った家事一つ一つについて、「ありがとう」という。いつ・何をやってもらったのかを一瞬でも意識する。
「いつも全部いろいろありがとう」では、総量が把握できないからダメ。かならずひとつずつに対して言うこと。

 

相手が気が付かなければ、自分から言う。

とはいえ、見ていないところで相手がやってくれた家事まですべて、必ず気づけるとは限らない。
だから、相手から「ありがとう」を言われなかったら、自分から作業報告をすることにする。

「時計の電池が切れてたから、交換しておいたよ!」
「今日は実は、洗濯機を二回まわしてるんだよ!」

というように。

相手が気づかないことで、「私はこんなにやってるのに…感謝もしてもらえない」と不満が積もるのだけは避けたい。
かといって、自分から「やっておいたよ!感謝して!」というのは、普通の感覚ではなかなかやりにくい。

だったら最初から「気づかれなかったら、報告しなくてはいけない」というルールを作っておけばいい。
感謝を強要するわけではなくて、やったことは必ず相手に確認を貰わなくてはいけないルールだ、という程度の感覚で、気楽に、自己申告したい。

もちろん言われたほうは、「ありがとう」と返せばいい。

 

報連相でありコミュニケーション

相手がやった家事を、お互いにすべて把握することは、単純な報連相としての役割もある。

「そういえば最近、洗濯槽洗いしてなくない・・・?」のように忘れているときのフォローにもなるし、
「昨日モップかけたって言ってたけど、こっちの部屋ホコリ溜まってるよー?」と、サボったり手を抜いてもバレる。

いくら平等に分担したって、そのあとに「私は自分の仕事をちゃんとやっているのに、相手は手を抜いている」と感じてしまうことがあれば、不公平感に繋がるだろうから、ある程度決められたことはきちんとやることと、お互いのチェックが必要だと思う。

それに、
「浄水器のカートリッジ、そろそろ半年だから交換しといたよ」
「え!?私、先週、交換したばっかりだよ?」
なんてことも、避けられるだろう。

 

「ありがとう」の意味は「確認しました」

実は最初は、ありがとうではなく「確認しました」にしようかと思っていた。意味合い的にはそれで構わない。

ただまぁ、ちょっと事務的すぎるし・・・悩んだ結果、「ありがとう」という言葉を選んだ。
感謝の気持ちまで強要するつもりはなくて、ルールだから唱えるだけで、心がこもっていなくたって別にいいと思っている。
繰り返し声に出すうちに意識に刷り込まれるものもあるし、無意識に出る口癖になるならそれはそれで悪くない。